「狭い田舎の視野のままでは、何も決めたくなかった」
――秋田から新潟の大学へ進学しています。どういう経緯だったのですか。
「高校までは、秋田県大館市という小さい町で暮らしていました。卒業後は大学に行きたいと思っていたのですが、行きたい学部がどうしても見つからなくて。狭いコミュニティで育ってきたので、その時の自分の視野の範囲で将来の進路を決めたくない、という気持ちがあったんです。そんなときに見つけたのが、新潟大学の創生学部でした。すごく端的に言うと、入ってから学ぶことを決められる学部で、当時はかなり珍しかった。『これはすごくいいな』と思って入りました」
――大学では、何に打ち込んだのですか。
「地域活動ですね。新潟大学に『ダブルホーム』っていう、2つ目のお家という意味の、地域ボランティアのプロジェクトがあって、それに4年間ずっと入っていました。大学の近くの内野という街で、地域のおじいちゃんおばあちゃんと餅つきをしたり、防災訓練を手伝ったり、梅シロップを作ったり。
学外では『にいがたイナカレッジ』という、学生が新潟の農村や地域に入り込んで地域づくりを実践するプログラムにも参加しました。内野の街歩きマップを作ったり、地域の集まりでおばあちゃんたちが作った手芸品が箪笥に眠っているのを知って、『それもったいなくないですか?』と一緒にフリーマーケットを開いたり。とにかく『今の自分の視野じゃ足りない』という気持ちがずっとあって、視野が広がることは全部やりたかったんです」
「合わないものから消していく方が、納得して決められる」
――就職活動は、どのように進めたのですか。
「正直、やりたいことが決まりませんでした。そもそも自分が働くイメージが湧いていなかったんだと思います。だったら、まずはとにかく数を見てみようと考えました。私の代はコロナ禍でインターンシップがすべてウェブ開催だったので、夏休みを使って、家から数十社に参加したんです。それだけ見て分かったのは、私の場合、『やりたいこと』を起点に選ぶのは難しい、ということでした。それなら、実際に見て『ここは合わない』と感じたものから消していく方が、納得して決められる。そこからは消去法で、業界を絞っていきました」
――たとえば、どんなふうに候補が消えていったのですか。
「一つひとつ、自分なりの理由をつけて消していきました。まずベンチャー系は、インターンの前に会場で円陣を組んでいる様子を見て、この熱量は自分には合わないな、と。次に保険業界は、職場見学で壁に営業成績のグラフが貼られているのを見て、あそこに名前が入る競争環境は向いていないな、と。車業界は、『この車種が昔から好きで』と熱く語れる人たちに囲まれて、車にそこまで思い入れのない私が売っても説得力がない、と気づいて消えました。そうやって消していった結果、最後に残ったのが住宅業界だったんです。
働く場所も、就活の中で決まっていきました。実は学生のときは、4年で新潟を出るつもりだったんです。でも、地域活動を続けるうちに、大学で切れると思っていた地域の縁が、卒業しても続いていくことに気づいて。地元のおばあちゃんと連絡先を交換していたりするんですよ。知らない人ばかりの東京に行くより、この縁がある新潟に居続ける方が面白いかもしれない——そう思うようになって、就職は新潟の会社に決めました。東京の大学に行った友達のアパートが、私の部屋より狭いのに家賃はずっと高かったのも、背中を押しましたけど」
――その中で、永井建設はどこが違ったのですか。
「インターンシップの段階から、社長が出てくるんですよ。それがすごく面白いなと思ったし、それぐらい社長の考えが社員に根付いているように感じたんです。社長は『ワンピースみたいな会社にするんだ』ってよく言っていて、いろんな人がいないとチームにならないよね、という考え方。求める人物像で縛らずに、面接で見ているのは人間性——気遣いができるか、人の話をちゃんと聞くか、『ありがとう』が言えるか。そういう基礎的なことなんです。私、大学時代の活動で、メンバー間の仕事量の偏りとか熱量の差で、チームがギスギスしてしまった経験があるんです。組織って、『あの人はやってくれない』という小さな不満から空気が悪くなっていくんですよね。でもこの会社の人たちと話していると、誰かへの不満がまったく出てこない。人間性で人を選んでいるからこそ、みんなが同じ方向を向いて、まっすぐ頑張れているんだと思います。ここでなら気持ちよく働けそうだと感じて、入社を決めました」
――入社してみて、ギャップはありましたか。
「ほとんどなかったです。それは採用担当の方のおかげで、入社前に全部あけっぴろげに見せてくれたんですよ。事務所の中に入らせてもらったり、営業の打ち合わせを見せてもらったり、社長と話せたり。その採用担当を、いまは私がやっているんですから、不思議な縁ですよね」
「おじいちゃんおばあちゃんが、家を建てに来るんです」
――最初の配属は、平屋専門ブランド「平屋王国」の営業だったそうですね。
「はい、平屋を2年売っていました。平屋って、おじいちゃんおばあちゃんがよく買うんですよ。階段がないから過ごしやすいし、いま2階建てに住んでいても、子どもがみんな出ていって2階が物置にしかなっていない、とか。ローンを組まずに現金で建てたい、と考えると、2階建てより平屋がちょうどいい、という方も多くて。私、もともとおじいちゃんおばあちゃんと喋るのが大好きなので、それも配属の決め手だったみたいです」
――「建て替え」のお客様が多いそうですね。
「とても多かったです。特に震災の後はすごかったですね。能登の地震の液状化で、もうどうにもならないという方が本当に多くて。だから、住宅営業って若い夫婦に売るイメージだと思うんですけど、平屋は人生2回目の家づくりの方が主な層だったりします。営業のスタイルも、飛び込みやテレアポは一切なくて、チラシやSNSを見て予約してくださった方の相談に乗る『反響営業』です」
――営業の2年間で、いちばん嬉しかった瞬間を教えてください。
「契約のときや、お家が建ったときに、『工藤さんのおかげで家が建ちました』って言ってもらえたことです。住宅営業あるあるだと思うんですけど、『永井建設で建ててよかった』とはあんまり言われないんですよ。『工藤さんでよかった』なんです。引き渡しのときに泣かれる方もいて。他社では予算が合わずに諦めかけて、ここに行き着いてやっと建てられました、という方もいました。もう、それだけのためにやってましたね」
――逆に、しんどかったことはありますか。
「数字ですね。営業なので、数字と向き合うのは正直大変でした。ただ、それはノルマとは違うんです。達成できないからといって詰められることはなくて、目標があって、やった分はインセンティブとしてきちんと返ってくる。だからプレッシャーは、自分の内側から来るものなんですよ。早く成長したい、結果出したい!と気持ちだけが先走ることもありました。それでも続けられたのは、数字を一人で背負わせるのではなく、チームで目標を追いかける会社だったからだと思います」
「『工藤さんでよかった』の言葉のためにやっていた」と振り返る
「最前線じゃなくて、会社を支える側もありなのかも」
――3年目からSNSマーケティングと採用の担当に移っています。どういう経緯だったのですか。
「営業をやりながら、平屋王国のインスタを動かす人がいなかったので、私がやっていたんです。そうしたらそっちをすごく褒められ始めて。『インスタめちゃくちゃいいね』『リールがいいね』って言ってもらうことが増えて、もしかしたら私は、最前線に立つより、社員さんの笑顔を撮ったり、自分がいいと思う家を発信したり、会社を支える側もいいのかもしれないなって思ったんです。それを会社に言ったら、『いいと思ってたよ、向いてると思ってたから本腰入れてみなよ』って言ってくれて。じゃあそれで、と。いまは平屋王国や採用のSNS、YouTube、合同説明会なんかをやっています」
――営業を経験した人が採用を担当する強みは、どんなところにありますか。
「現場をリアルに話せることですね。いま話した『チームで数字を追いかける』も、実際に営業をやったからこそ実感を持って伝えられます。この会社の営業って、部活っぽいんですよ。『優勝するぞ』のノリのまま、チームで数字を取りに行く。チーム目標を個人に分けている形だから、『あの人が今月取れなかったから、じゃあ来月こっちで2棟取っとくよ』が自然に出てくるし、契約が取れなくて悩んでいる人がいたら『一緒に打ち合わせ入ろうか』ってフォローに入るんです。いっぱい稼いでる人がいても、みんな『すごいね、その間取りどうやって考えたの?教えて』って素直に学びに行く。インセンティブ制度もあるので、稼ぎたい人は結果がすぐ出て楽しいと思いますよ」
営業時代の数字との向き合い方も、率直に話してくれた
「住宅営業って、実はソロプレイなんです」
――働き方の面では、どんな人が向いていますか。
「住宅営業って、実はソロプレイなんですよ。お客さんと自分の一対一で、スケジュールも全部自分で組む。だから自己管理ができる人、自分でいろいろ決めたい人には向いています。休みは基本が水曜と木曜なんですけど、お客さんとの打ち合わせに合わせてみんな結構自由に振り替えていて、『土日のコンサートに行きたいから水木は頑張って出る』みたいな人もいます。有給も減らないし」
――入社前後のサポート体制は、どうなっているのですか。
「入社前の教育はかなり手厚くて、内定者研修が11月から3月まで、時給の出る内定者アルバイトという形で月6回あります。4月にはお客さんの初回対応ができるレベルを目指す、正直ちょっとハードな研修ですけど、だから1年目から『担当はあなたですよ』って任せてもらえるんです。もちろん最初は先輩が同席しますけど、『担当』として扱ってもらえるのは、早く成長したい人には嬉しいと思います」
――どんな人に来てほしいですか。
「この会社が大切にしているのは、『素直・勉強好き・感謝』の3つです。もともとは社長の言葉なんですけど、私なりに噛み砕くと、新卒って、やりたいことはあってもできることは多分ないじゃないですか。できない状態から増やしていくには、指摘を素直に受け取れることが大事。勉強好きが大事なのは、住宅営業は情報が毎年入れ替わるからです。法律も、国や県の補助金も毎年変わるし、家のトレンドも変わる。モノトーンが流行ったり、くすみカラーが流行ったり。常にアップデートできる好奇心が要ります。感謝は、会社の理念そのものですね。『ありがとう工房』というブランド名の通り、会社に関わる全ての人との間に『ありがとう』を創造する、という理念があるんです。お客さんからだけじゃなくて、協力業者さんにも、社員同士でも」
――働き始めて4年目。新潟に残った選択は、どうでしたか。
「学生時代の縁はいまも続いていて、地域のイベントに呼ばれたら顔を出していますし、『おいでよ』って声をかけてもらえる場所がある。学生のときに『新潟に居続ける方が面白いかも』と思った感覚は、働き始めてからの方がむしろ強くなっていますね。仕事でも、地域のおじいちゃんおばあちゃんと毎日話していますから。学生時代にやっていたことと、いまの仕事が、ちゃんと地続きなんです」

