新潟大学創生学部の相川茉優さん。ダンスサークルで汗を流し、地域のイベントの共同代表として大勢の集客を達成するなど、充実した大学生活を送っている。しかし、そんなアクティブな姿からは想像もつかない「運動嫌い」や「勉強アレルギー」、そして「リーダーには向いていない」と思い悩むほどの挫折を過去に経験してきた。幾度となく壁にぶつかりながらも、彼女はどのようにして「人を支え、調和を生み出す」という自身の強みに気づくことができたのか。
新潟県新潟市出身。高校時代はボート部のマネージャーとして選手を支える。大学進学後は、ダンスサークルでの活動に打ち込むかたわら、授業をきっかけに宮内・摂田屋地域の活性化団体と出会う。2年時からは親子向け体験イベントの実行委員会に参画し、3年時には共同代表としてイベントを成功に導く。
運動嫌いから、チームの「ムードメーカー」に
新潟県新潟市で生まれ、3姉妹の真ん中として育ちました。小さい頃は、しょっちゅう歌ったり変な動きで踊ったりしているような、歌とダンスが大好きな子どもだったそうです。
一方で、運動は嫌いでした。鬼ごっこで外を駆け回るよりも、家の中で一人黙々と絵を描いている方が好きで、小学校の体育の授業では、鉄棒や跳び箱が怖くて、マラソン大会なんて本当に嫌でたまりませんでした。小学6年生の時に1年間だけヒップホップダンスの入門クラスに通いましたが、それ以外はスポーツとは無縁でした。
でも、中学生になると「運動への苦手意識を少しでも克服したい」という思いが芽生え、一番雰囲気が良かったバレーボール部に入部しました。私の通っていた中学校は1学年に6〜7クラスもあるマンモス校で、バレー部も部員がとても多く、私はやっとベンチに入って、たまに試合に出るといった選手でした。それでも、周りの友達と一緒に過ごす空気感が心地よくて、楽しく続けていました。
高校は進学校に進み、ボート部のマネージャーになりました。バレー部での3年間を通じて、私は自分が最前線でプレーするよりも、部の雰囲気を作るムードメーカーのような、人を支える役割の方がしっくりくると気づいたからです。ボート部がある高校は珍しく、ここでしかできないことをやってみたいと思ったんです。
ただ、ボート部のマネージャーといっても、選手のサポートをするのとはまた違った役割でした。ボートには、漕ぎ手に加えて、舵を取る船頭役も乗り込むのですが、マネージャーはその役を務めることでした。なので、毎日選手と一緒にボートに乗り込み、大きな声を出して指示を出すという、体力も頭も使う役割でした。レースにも出ます。チームの一員として取り組むのが本当に楽しかったですね。

体育祭でのリーダーへの挫折
部活に力を入れる一方で、高校3年生の時には学校の一大行事である体育祭の「衣装リーダー」に手を挙げました。
私の学校の体育祭では、1-3年生まで縦で組んだチームが全部で9つあり、当日は各チームが揃いのオリジナル衣装を着るのが目玉になっていました。自分で作る衣装をみんなに着てもらえるのはやりがいのあることで、衣装リーダーをやってみることにしたんです。
ただ、リーダーの仕事は想像以上に大変でした。衣装デザインから、布屋さんへの相談、仕入れ、衣装の作り方マニュアルの作成、予算管理までを担いました。熱心な親御さんが直接布屋さんに質問に行ってしまったり、予算の計算ミスがあったりと、トラブルが続出しました。私は「自分が完璧にやらなきゃ」と全てを抱え込み、人に頼ることができませんでした。
結果的に空回って周りに迷惑をかけ、「私がリーダーだからダメなんだ」と深く落ち込みました。胃がキリキリするような重圧の中で、自分はリーダーには向いていないんだと痛感した挫折体験になりました。当日みんなが衣装を着ている姿を見た時は心底ホッとしました。

勉強への苦手意識と、大学進学への転機
部活や体育祭を頑張る一方で、勉強には全く身が入りませんでした。中学までは勉強が好きだったのですが、高校に入学した頃がちょうどコロナ禍で、自習前提で猛スピードで進む授業スタイルに全くついていけず、すっかり勉強アレルギーになっていました。周りは勉強ができる子ばかりで、「バカにされているんじゃないか」という被害妄想に陥り、先生にも友達にも恥ずかしくて質問できない悪循環でした。
だから、将来やりたいことを考えるメンタルなど到底なく、「こんな勉強が続くなら大学なんて行きたくない」とすら思っていました。進学校という環境もあり、とりあえず大学には行かなければと思いつつ、将来の選択を先延ばしにしていました。
そんな高3の夏、通っていた塾の先生の勧めで新潟大学の「創生学部」を知りました。学外に飛び出し、社会の大人たちと関わりながら学ぶというスタイルは、一方的な授業が嫌いだった私にとって最高に魅力的に映りました。
そこからスイッチが切り替わり、しっかりと勉強するようになって、無事に志望校に合格できました。
机の上から飛び出して。地域の人々の熱意に触れた大学生活
大学に入ってからは、楽しみにしていた実践型の授業に取り組んだり、ダンスサークルに精を出しました。
受験期、私の心を支えてくれたのは「BE:FIRST」というアイドルグループで、動画を見る中で、あらためて表現としてのダンスの魅力に惹かれて、ダンスサークルに入ることにしたんです。年4回の発表会や外部イベントに出たり、そのための練習をする日々を過ごしました。
また、大学の授業では、特に地域と関わることが楽しくなりました。元々楽しみにしていた必修科目「フィールドスタディーズ」では、1-2ヶ月ほど、企業と関わりながら課題解決の提案を行います。私がお世話になった団体は、発酵醸造の文化を軸に地域振興を目的とした集まり。それも観光客誘致ではなく、地域住民が主体となって内側から地域を盛り上げる「地域を発酵させる」という熱いテーマを持っていました。
私たちのテーマは、毎年10月に開催される「セッタニア」という地域の親子向けイベントで、新しいイベントを提案すること。そこで、交通の便が悪くつながりが薄い宮内駅と摂田屋エリアの中間に位置するお土産ショップでの、新潟県産のお米の食べ比べ体験を提案しました。実際に実行することにもなりました。ただ、当日が学祭のダンスステージと被ってしまい、私は提案までで、実行には関わることができませんでした。
トラウマを乗り越えて。共同代表として見た新しい景色
その悔しさもあり、2年生の時には自ら手を挙げ、セッタニアの実行委員会のメンバーとして企画の立ち上げから参加しました。私が担当したのは、地元で有名な老舗和菓子店の和菓子作り体験です。
この時、その企業の社長自らが最前線に立ち、お客さんに笑顔でおもてなしのレクチャーをする姿に衝撃を受けました。立場に関係なく、自社の商品の良さや地域の魅力を本気で伝えようとするその姿に強い憧れを抱きました。同時に、学生間の長いミーティングや企業の方との直接の打ち合わせなど、イベント準備がいかに泥臭く地道なものかというリアルも実感しました。
3年生の春には、学生の共同代表としてセッタニアに関わる機会を得ました。高校の体育祭での挫折がトラウマで「自分はリーダーには向いていない」と最初は悩みました。でも、1年生の頃から関わってきた思い入れのある地域であり、信頼できる仲間や尊敬する先生がいるこの環境なら、過去の挫折を克服できるかもしれないと一歩を踏み出す決心をしました。
実際に共同代表になってみると、タスクの洗い出しやスケジュールの紐付け、適材適所の振り分けなど、全体を見渡しながら動くことの難しさを痛感しました。裏方の資料作りばかりで大変な瞬間もありました。
けれど、共同代表だからこそ、全コンテンツの動きを把握し、協力してくださる地域の方々全員と直接お話しする機会に恵まれました。第一線で動く皆さんのエネルギーや熱い思いに触れるたび、どんなに疲れていてもそれが自分の大きな原動力に変わっていくのを感じました。
結果として、目標を大きく上回り、280人もの方にお越しいただいて大成功を収めることができました。

調和を生み出し、前向きな選択肢を届けたい
これまでの人生、部活動やイベント運営など、私はずっと「チーム活動」をしてきました。その中で気づいたのは、私が輝けるのは、先頭に立ってぐいぐい引っ張るリーダーではなく、みんなの気持ちに配慮し、場を和ませて調和を生み出しながら、良い成果へ導く「支えるリーダーシップ」なのだということです。
将来は、色々な人が前向きに未来の選択をできる世界になったらいいなという思いから、教育分野や地方創生に興味を持っています。が、特定の企業に絶対行きたいという確信はまだありません。
私は、あらゆる可能性をじっくりと考え抜き、自分が心から納得できる決断をしたいタイプなのです。時間はかかっていますが、自分で道を切り開いていくプロセスを大切にしたいです。
大学生活も残り1年。次のセッタニアでは、主導となる後輩たちを代替わりのサポートという形で支えたいと思っています。そして、好奇心の赴くままに、海外に行ってみたり、日本史や政治の勉強をしてみたりと、これからもたくさんの人と話し、さまざまな場所に足を運び、新しい価値観に触れ続けていきたいです。