新潟大学創生学部の3年生であり、県内最大級の学生コミュニティ「次世代BASE」でコミュニティマネージャーを務める大澤舞さん。現在は、そこから派生した株式会社ネオシームにて、学生と企業の新しい接点を創出するHR分野にも携わっています。
「自分は普通(凡人)だからこそ、できることがある」。そう語る彼女は、周囲にいる圧倒的な個性を持つ仲間たちの中で、組織の「内部」を整え、悩みを持つ学生に寄り添い続けています。
かつては「やりたいことがない」ことに悩み、人間関係やプレッシャーに押しつぶされそうになった過去もありました。そんな彼女が、どのようにして自分の役割を見出し、「人の可能性を形にする」活動に情熱を注ぐようになったのか。秋田での幼少期から現在に至るまでの歩みを、彼女自身の言葉で語っていただきました。
秋田県横手市出身。新潟大学創生学部3年生。学生コミュニティ「次世代BASE」にてコミュニティマネージャーとして組織運営やメンバーのマネジメントに従事。また、株式会社ネオシームではHR事業部に携わり、学生の潜在的な魅力を引き出すイベント企画などを行っている。
「論理」と「普通」の間で育った秋田時代
秋田県横手市で生まれました。一人っ子です。小さい頃は、男の子の幼馴染の影響もあって、プリキュアよりも仮面ライダーごっこをして遊ぶような、ちょっと男勝りな子供でした。
私の価値観の形成に大きな影響を与えているのは、間違いなく母の存在です。母は感情的に怒るというよりも、常に論理的。「正論系」なんです。私が何か愚痴をこぼしても、「それはあんたも悪いところがあるんじゃない?なぜなら…」とスパッと切られる。共感してほしい時には傷つくこともありましたが、言われていることは正しくて、悔しいけれど納得してしまう。そんな環境で育ちました。
母からはよく「あんたは普通なんだから」「凡人なんだから」と言われてきました。それは「ありのままの自分でいい」という母なりの優しさだったのかもしれませんが、子供心には「もっと期待してくれてもいいのに」という寂しさや反発心もありました。だからこそ、「普通じゃありたくない」「頑張らなきゃ」という思いを、心のどこかでずっと持ち続けてきた気がします。
小学校4年生からバスケットボールに打ち込んでいました。でも、中学に入った時にひとつの"現実"を知ることになります。中学では学区の関係で、県内トップクラスの強豪校出身の子たちと同じチームになったんです。私はそれまで弱小校で、環境も整っていない中でやってきたので、実力差は歴然でした。バスケは好きでしたが、「好き」という気持ちだけで続けられず、高校ではマネージャーや放送部を経験しました。
特に放送部でのドラマ制作は本当に楽しかったです。自分の得意なスタイルも少し明確になった気がします。私は、何もないところから物語を生み出す「0から1」よりも、すでにある題材や素材をどう活かし、どう発展させるかというプロセスにこそ、面白さを感じるんです。既存の価値を磨き上げ、最大化する。そこに自分の特性があるのだと気づきました。
高校3年生の時には、クラスで孤立してしまう経験もしました。ただ、そんな人間関係の苦しさの中にいたからこそ、「人」への興味が強く湧いてきた時期でもありました。人の内面や考え方はどうなっているのか。人はどう変化していくのか。そんな想いから、進路は人文系や人間科学の分野を志望していました。
そんな時、塾の先生に教えてもらったのが新潟大学の創生学部です。「ここなら文理融合で、あなたの知らないあなた自身を認めてくれるかもしれない」スクールカウンセラーの先生にそう背中を押されたこともあり、直感的に「ここだ」と感じて進学を決めました。
限界を超えた中国での挑戦と、見えてきた「自分の役割」
大学1年生の頃は、創生学部の課題の多さと、初めての一人暮らしと日々の生活を回すだけで精一杯で、あっという間に過ぎ去ってしまいました。しかし、生活に慣れて時間的な余裕が生まれてくると、ふと「このままでいいのか」という不安がよぎりました。「もっと何かやらなければ」「経験を積まなければ」という焦燥感に駆られ、2年生からはとにかく行動量を増やしました。
元々海外への興味は強かったのですが、いきなり個人の海外旅行はハードルが高い。そこで目をつけたのが大学の授業の一環として行ける「地域国際交流B」の中国派遣プログラムです。これなら単位も出るし、安心して挑戦できる。そう考えて飛び込み、結果として団長を務めることになりました。また、同時並行で地域課題に取り組む集中講義を取ったり、塾講師のアルバイトにも今まで以上に力を入れたりと、自分の可能性を広げるために手当たり次第に動いていた時期でもあります。
中でも特に、中国での経験は壮絶でした。まず、渡航前の準備段階からして大変でした。準備期間を含めて約10ヶ月間、私は団長として、指導教員の先生やOGの先輩方、そして現地の学生たちとの間に立ち、膨大な調整業務に奔走しました。授業の一環とはいえ、多くの人を巻き込むプロジェクトを動かす重圧は想像以上で、日々のタスクに忙殺される毎日でした。
メンバーは皆優秀でしたが、極度の忙しさと環境の変化で余裕がなくなり、些細なすれ違いが頻発しました。チームの不満の矛先はどうしてもリーダーである私に向かいます。板挟みになり、逃げ場のないことが大変でした。
そして、いざ現地に渡ってからも、さらなる試練が待っていました。文化の違いもあるのでしょうが、中国において「リーダー」は絶対的な存在として扱われます。現地の偉い方々との会食では、一番上座に近い席に座らされ、乾杯の挨拶もすべて私が担当する。「リーダーなんだから」という理由で、常に矢面に立たされ、一挙手一投足を見られているようなプレッシャーを24時間浴び続けました。
正直、精神的にも肉体的にも限界ギリギリの日々でした。しかし、この「修羅場」とも言える環境を最後までやり遂げたことが、私自身を大きく成長させてくれました。
まず、圧倒的な度胸がつきました。偉い人たちを前に挨拶し、組織のトップとして振る舞う経験をしたことで、大概のことには動じなくなりました。「あの時のプレッシャーに比べれば、今のトラブルなんてマシだ」と思えるようになりました。また、自分一人で抱え込むのではなく、組織全体を見渡す視座の高さも学びました。辛い経験でしたが、私の基礎体力を底上げしてくれた、かけがえのない時間だったと思います。
また、同時期に力を入れていた塾講師のアルバイトでも、大きな気づきがありました。勉強が苦手な子に、噛み砕いて説明し、理解してもらう。生徒と一緒に頑張り、「先生がいい」と言ってもらえる経験は、中国での辛さを癒やしてくれる大切な時間でした。この頃から「人に教えること」「人の成長に関わること」への面白さを感じ始めるようにもなりました。
ピンとくるものを見つけるために
中国のプロジェクトも一段落つき、3年生になる直前の時期に、ゼミに入るための先生との面談がありました。そこで「大澤さんは、これから何がしたいの?」と問われたんですが、言葉に詰まりました。明確な「これだ」というものがなかったからです。
私は昔から、何かを決める時は理屈よりも「直感」が先に来るタイプです。「なんかいいな」「ピンときた」という感覚がまずあって、理由は後からついてくる。自分の中には確かな判断軸があるはずなんですが、それを言語化して説明するのが苦手でした。答えあぐねている私に、先生はこうアドバイスをくれました。
「もし今、ピンとくるものがないのなら、それは君のアンテナが鈍いわけじゃなくて、単に選択肢の幅が狭いだけかもしれないよ。もっと視野を広げて、いろんな世界を見てみたら?」
その言葉にハッとさせられました。選べないのは、選ぶ対象を知らないからだ、と。そしていい場所がないか探して見つけたのが、学生コミュニティ『次世代BASE』でした。ちょうど中国のプロジェクトで一緒だったメンバーが代表を務めている団体で、連絡をとって参加することにしました。
カオスな組織の「内部」を整える面白さ
ただ、「学生の力を形に」というミッションに惹かれて入ったものの、当時の内部は正直、驚くほど整っていませんでした。外からはキラキラして見えても、中はカオス。登録をしたものの2ヶ月くらい音沙汰もありませんでした。「せっかく入ったのに、どうなってるの?」と、団体代表の友人に詰め寄ったこともあります。
そこから「じゃあ一緒に直してくれない?」と頼まれ、コミュニティマネージャーになりました。
次世代BASEは、学生の「やりたい」を実現するためのプロジェクトベースのコミュニティです。イベント企画や地域連携など、様々なプロジェクトが動いています。ここで私は、組織の「内部」を整えるありとあらゆる業務を担当することになりました。具体的には、新しく入ってきたメンバーの面談や適切なプロジェクトへのアサイン、悩み相談に乗るメンター的な役割、そして定例会議の仕組み化やファシリテーションなどです。

ここには、創業メンバーをはじめとして、常識外れのすごい人たちが集まっています。彼らは0から1を生み出す力や、人を惹きつける力は凄まじいけれど、細かい調整や仕組み化は苦手。一方で私は、彼らのような突出した才能はないけれど、スケジュール管理や組織の仕組み作りといった「当たり前」のことを着実に実行できます。自分はパラメータで言えばオール3の「普通」の人間。でも、だからこそ、彼らのような凸凹のある「化け物」たちが輝ける土台を作ることができる。外からは見えないけれど、組織の内部を変え、彼らが動きやすいように環境を整えていく。そのプロセスに、私は面白さを感じています。
再確認した「私の居場所」
そうして、組織の土台を支えることに夢中で活動していましたが、3年生の春から夏にかけて、ついにキャパシティを超えてしまいました。自分の限界を無視して、責任感だけで走り続けた結果、5月頃がピークで心と体が悲鳴を上げました。スマホの画面を見るのも辛く、文字も追えなくなってしまいました。
何もできず、ただ部屋で毛布にくるまり、焚き火の音を流して時間をやり過ごす。そんな日が続きました。夏休みに入ってからも、気分の浮き沈みが激しく、周囲の友人からも「もう辞めたほうがいいんじゃないか」と心配されました。私自身も「こんな状態なら、辞めるしかない」と何度も思いました。
それでも、私は戻ってきました。一度離れて、どん底まで落ちたからこそ、見えてきたものがあったからです。
一つは、ここが私にとってかけがえのない「居場所」だということ。そしてもう一つは、自分の心の癖への気づきです。「私は誰かの役に立って、頑張っていないと、自分自身の価値を感じられない人間なんだ」と痛感しました。それは私の弱さでもありますが、裏を返せば「人のために動くこと」が私の原動力だということでもあります。自分をすり減らしてしまっては元も子もありませんが、やっぱり私は「何かしたい人」を支えるこの場所にいたい。その想いを再確認し、自分の限界とうまく付き合いながら活動を続ける道を選びました。
「やりたいことがない」人のための場所を作りたい
現在は、次世代BASEから派生した株式会社ネオシームでも活動しています。ネオシームは、ボランティアベースになりがちな学生コミュニティ「次世代BASE」を持続可能なものにするために設立された法人です。
学生団体としての活動だけでは資金面や継続性で限界が来ることもあります。そこで、企業との連携事業や案件をビジネスとして正式に引き受け、コミュニティの運営基盤を支える「インフラ」としての役割をネオシームが担っています。
私はその中で、HR分野の立ち上げに関わっています。目指しているのは、学生と企業のあり方を変えること。「やりたいこと」が明確にある学生ばかりではありません。私自身もそうでした。だからこそ、まだ見えていない学生の潜在的な魅力を顕在化させ、企業とマッチングさせるようなイベントや場を作っていきたいんです。
将来の仕事においても、やはり「人」に関わる仕事に興味があります。塾講師のアルバイトでも感じたことですが、ただ勉強を教えるだけでなく、その子の人生観やキャリアも含めて、変化や成長に寄り添える瞬間に喜びを感じます。
私は、昔から「やりたいことは何?」と問われるのが苦手でした。世の中には、大きな夢や目標を持てないことに引け目を感じている人がたくさんいると思います。私は、そういう人たちの味方でありたい。
「やりたいことがないなら、私が何かできる場所を提供するよ。一緒にやってみようよ」
そう言って、かつての私のように迷っている誰かの背中を押してあげられる存在になること。そして、突出した才能を持つ人たちを支えながら、自分なりの「普通」の強さを活かして社会と接続していくこと。それが、今の私に見えている「やりたいこと」であり、これからのキャリアで実現していきたい姿です。