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逃げ道をなくして挑んだ1年。回り道をして気づけた「自分の弱さ」

逃げ道をなくして挑んだ1年。回り道をして気づけた「自分の弱さ」

加藤 敢

加藤 敢

新潟大学経済科学部3年

2025年2月10日

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#向上心#新しいことへの挑戦#切磋琢磨しあえる環境#笑顔#自分の知見で寄り添える人になりたい#恩返し

新潟大学経済科学部の3年生として実践的なゼミ活動や就職活動に奔走する加藤敢さん。一見すると自信に満ち溢れ、順風満帆な学生生活を送っているように見える彼ですが、ここに至るまでには「第一志望への不合格」や「大学の休学」といった大きな回り道がありました。負けず嫌いで常に自分を追い込んできた彼が、いかにして過去の挫折をポジティブな力に変え、現在の「関わる人を笑顔にしたい」という価値観に辿り着いたのでしょうか。

新潟大学経済科学部。秋田県由利本荘市出身。高校卒業後、山形県内の大学に進学するも、自身のさらなる成長と家族への恩返しを胸に大学を1年間休学。猛勉強の末、新潟大学への3年次編入を果たす。現在はアントレプレナーシップやマーケティングを学ぶゼミに所属しながら、若いうちから圧倒的な成長環境を求めて東京のベンチャー企業を中心に就職活動を行っている。

負けず嫌いなサッカー少年がぶつかった壁と、仲間への信頼

秋田県の由利本荘市という、海沿いの街で生まれ育ちました。3人きょうだいの真ん中で、2つ上の兄と妹がいます。昔からとにかく明るくて、誰とでも話せる性格だったと思います。

それと同時に、極度の「負けず嫌い」でもありました。とくに兄と比べられるのが好きではなくて、「やるからには絶対に1番を取りたい」といつも闘志を燃やしていたんです。勝負事となれば、相手が誰であろうと絶対に負けたくありませんでした。

性格形成には、小学1年生から高校3年生まで続けたサッカーの影響も大きいと思います。サッカーの指導者をしている父親の影響で始め、小学3、4年生の頃にはすっかりのめり込んでいたのですが、4年生の時に股関節の疲労骨折をしてしまい、1年間ドクターストップがかかってしまいました。復帰した5、6年生の頃はブランクもあり、レギュラーから外れてサブの立ち位置になってしまったんです。

当時は昭和気質の厳しい監督だったこともあり、本当に苦しくて、サッカーがあまり好きではなくなっていた時期もありました。それでも辞めなかったのは、やはり親の存在があったからです。

中学校でもサッカー部に入りましたが、チームがあまり強くなく、1年生から試合には出られたものの勝てない日々が続きました。高校の部活では、再び壁にぶつかりました。1、2年生の時はなかなか監督に見てもらえず、レギュラーになれなかったんです。自分なりに自信を持っていたからこそ、すごく悔しかった。

そこで「まずは監督に見てもらおう」と考え、思い切って坊主頭にしました。目立てばチャンスが巡ってくるかもしれないし、友達の笑いも取れるという思いもありました。とにかくガムシャラな行動でしたが、結果的に見てもらえるようになり、試合に出られるようになりました。

そこからの高校3年間、ディフェンダーとして公式戦で「1対1になった場面」では一度も負けませんでした。ただ、これは決して自分一人の力ではありません。隣のセンターバックや、前のサイドハーフの仲間がとても上手く、チームとしての強い信頼関係があったからこそ、思い切って勝負に挑戦できたのだと感謝しています。チームとしても、県内でベスト4という成績を残すことができました。

悔しさと申し訳なさで決意した、ゼロからの再スタート

高校生活はサッカーに打ち込む一方で、大学受験では第一志望に合格することができませんでした。妹もいるため経済的な理由で浪人は難しく、学費が安い地元から近い大学に進学することにしました。

しかし、心の中にはずっと「第一志望に行けなかった悔しさ」が渦巻いていました。自分の中で負けたままでいるわけにはいかず、この悔しさを払拭するため、実は共通テストが終わって手応えがなかった瞬間から、大学3年時に別の大学に「編入」することを決意していました。

通常の5教科に自信がなかったため、科目が絞られる編入試験に狙いを定め、余裕を持って準備できる「3年次編入」を目指すことにしたのです。編入先を新潟大学にしたのは、高校の友人が多く進学していたことと、興味を惹かれるゼミがあったことが理由でした。

とはいえ、大学に入ってから最初の2年間は、決して褒められた生活ではありませんでした。編入のモチベーションを保てず、授業にもあまり行かずに、アルバイトばかりしていました。編入試験を甘く見ていた部分がありました。しかも、編入試験当日になって40度の熱を出し、試験も始まって10分で別室に移動せざるを得ない状況でした。

結果はもちろん不合格です。正直、勉強していなかったのでどのみち落ちていたと思います。

でも、この不合格で火がつきました。周りの友達から「落ちてやんの」と愛のあるイジりを受け、何より私が2年間ちゃんと勉強していると信じてくれていた家族への申し訳なさがこみ上げてきたんです。

このまま中途半端な自分ではダメだ。そこで1年間を「休学」し、自らを追い込む決断をしました。もし次落ちたら、ただ1年遅れて大学を卒業するだけ。「それだけは絶対に嫌だ」と思えるくらいに、自分自身の逃げ道を完全になくしたんです。

1日10時間の猛勉強。支えてくれた仲間と恩師

休学中は、1日10時間以上の猛勉強を1年間続けました。休学は自己都合だったため半期分の学費がかかってしまったのですが、それは自分で払うと決めていたため、アルバイトの時間を限界まで増やし、勉強と両立させました。

編入試験の科目はTOEICと経済学でした。12月から7月まではTOEICの勉強に専念し、最後の1、2ヶ月で経済学は対策をしました。この孤独な戦いを乗り越えられたのは、大学の授業でたまたま意気投合し、勉強の目的は違ったのですが、同じ空間で一緒に勉強してくれた友人の存在が大きかったです。

また、素晴らしい恩師との出会いもありました。大学の英語の先生が、TOEICを勉強しているのを見て、声をかけてくれたんです。最初は先生をあまり信頼していなかった生意気な私ですが、素直に指導をお願いしました。先生に教えてもらっている以上、変な点数は取れないというプレッシャーが良いモチベーションになり、結果的に半年でスコアを200点近く伸ばすことができました。

経済学は過去問の答えもなく、教えてくれる人もいない完全な独学でしたが、「自分なら全部解ける」と思い込んでひたすら参考書に向き合いました。

勉強に費やす1年でしたが、数カ月に1回は旅行に行って気分転換もしながら、遊ぶ時は遊ぶ、やる時はやるというメリハリをつけて走り抜けました。そして10月半ばの編入試験当日、問題を見た瞬間に「勝った」と確信し、試験会場を出てすぐに親へ「受かった」と電話をかけました。

鼻っ柱を折られて知った「謙虚さ」という武器

この1年間の回り道と猛勉強を通じて、新潟大学への切符を手に入れただけでなく、内面的な変化もありました。

昔から私は、「やるからには自信がないとダメだ」と自分に言い聞かせ、逃げ場を作らないためにわざと大きなことを言う「ビッグマウス」なところがありました。失敗すれば自分で自分を責めてへこむこともありましたが、そのスリリングな状況を楽しんでいた部分もあります。しかし、編入の挫折を経て、過去の自分の自信はただの「過信」であり、謙虚さが全く足りていなかったことに気づかされたのです。

自分は勉強面において、他の人より実力がない。だからこそ、人の何倍もやらなければならない。自分の弱さを素直に認められるようになったことで、精神的に強くなれた気がします。

新潟大学に来て特に面白いのは「アントレプレナーのための経営戦略とマーケティング」をテーマにしたゼミでの活動です。実際に企業の方と関わりながら新規事業の立案などに取り組む中で、ビジネスマナーやメールのやり取りなど、人生で初めての経験をたくさん積んでいます。また、周りの学生も熱心で、何でもこなすレベルの高い人ばかりだと感じます。だからこそ「自分も負けずにやってやるぞ」と良い刺激をもらっています。

親孝行と、関わるすべての人を笑顔にする未来へ

今後の進路については、若いうちから勝負して自分の価値を上げたいという思いから、東京のベンチャー企業に入りたいと思っています。社会に出たら、リーダー経験を積んだり、様々な部署で多くの経験をして自分の能力を高めたい。任されたことなら、全力でやり切る覚悟です。

将来は、昔からうっすらと抱いていた「起業」にも挑戦してみたいです。誰かの下で働くのではなく、自分の力で勝負したいという気持ちがありますし、家族や友達が喜ぶようなサービスを作ってみたいとも思っています。

とにかく、親を安心させてあげたいという気持ちもあります。今までサッカーを続けさせてくれて、ここまで育ててくれたのは親のおかげです。心配をかけすぎない生き方をして、たまに旅行をプレゼントするとか、恩返しをしていきたいと思っています。

サッカーでは、ピッチの上ではバチバチに戦いますが、終わればノーサイドでお互いを「頑張れ」と称え合います。それと同じように、常に目の前の物事には全力でぶつかりながらも、最終的には家族や友人、そしてご縁があった全ての人を笑顔にできるような人間を目指していきます。

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加藤 敢

Atsuhi Kato

加藤 敢

新潟大学経済科学部3年

新潟大学経済科学部。秋田県由利本荘市出身。高校卒業後、山形県内の大学に進学するも、自身のさらなる成長と家族への恩返しを胸に大学を1年間休学。猛勉強の末、新潟大学への3年次編入を果たす。現在はアントレプレナーシップやマーケティングを学ぶゼミに所属しながら、若いうちから圧倒的な成長環境を求めて東京のベンチャー企業を中心に就職活動を行っている。

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