新潟大学創生学部の小山美樹さん。ふるさと納税の委託業務を行う企業でインターン生として奔走しながら、「伝える」ことを軸にした活動を続けている。幼少期から周囲の期待に応えようと自分を飾ってきた彼女が、なぜ「ありのままの等身大」を大切にし、誰かの想いを「伝える」ことに情熱を注ぐのか。その背景にある福島での原体験と、数々のインターンで泥臭くもがき続けた日々を紐解く。
福島県郡山市出身。現在は新潟大学創生学部の学生として社会課題解決などを学ぶかたわら、ふるさと納税の委託業務を担う企業で長期インターン生として活動している。過去にはIT企業での広報インターンやウェブメディアでのインタビューライティングなども経験し、様々なアプローチから「伝える」ことの可能性を探求し続けている。
畑を駆け回った幼少期と、大人の期待に応えていた日々
生まれ育ったのは、福島県郡山市の自然豊かな地域です。近くの自販機まで自転車で10分かかり、コンビニも歩いて行けないほどの環境でした。実家は専業農家で、親が農作業をしている間は畑にポツンと置かれていたので、裸足で原っぱを駆け回って遊んでいました。少し大きくなってからは、力仕事などの手伝いもするようになりました。
学校までは、まずバス停まで親に車で送ってもらい、そこからスクールバスで通っていました。家の周りに友達が住んでいるわけでもないので、放課後は家に帰り、おじいちゃんと一緒にテレビを見て過ごすような日々を過ごしていました。
父は農業賞を受賞するなど、地元では名の知れた農家でした。そのため、親戚や周囲の大人たちからはずっと「一人娘だから、将来は農家になるんだよね」と言われ続けてきました。私自身にやりたいことが明確にあったわけではないので、大人が「何したいの?」と聞いてきたら、心の中では「何を言ってるんだろう」と思いながらも、とりあえずその場が丸く収まり、大人が喜んでくれるように「農家になる」と外面では答えていました。でも、それは決して私の本心ではありませんでした。
伝え続ける人になるための転機と挑戦
高校は1時間くらいかけて市街地の学校に通い、英語科に進みました。帰りのバスが夕方に一本しかなく、その時間に間に合う唯一の部活が語学部だったため、そこに入部して英語でクッキングやゲームをしながら楽しく過ごしていました。
高校2年生の時、楽しみにしていた海外研修がコロナ禍で中止になってしまいました。「遠くを見るチャンスが失われてしまった」と落ち込みましたが、すぐに「遠くに行けない今だからこそ、近くを深く知るチャンスなのではないか」と考え直しました。卒業後は県外に進学するだろうと思っていたからこそ、高校生のうちに地元・福島のことをもっと知りたい。そう思い、「ふくしまナラティブ・スコラ」という学びのプログラムに参加することにしました。
これは、福島の高校生が地元について学び、自分なりの考えを大きな舞台で一人でプレゼンするという企画でした。ここで私は「伝承」と「風評被害」をテーマに選びました。実家が農家だったこともあり、震災以降の風評被害は身近な問題で、「伝える」上で何が本当に大切なのかを考えたかったからです。
メディアからの情報はイメージできても、現場のリアルな声はもっと違うのではないか。そう思い、東日本大震災・原子力災害伝承館へ足を運び、語り部の方の話を直接聞きに行きました。
当時の私は、「震災の記憶が薄い自分が福島を語っても、実際に経験した人の言葉とは重さが違う」という引け目を感じていました。しかし、語り部の方はこう言ってくれたんです。「経験者から話を聞いて、それを自分の言葉にして伝えることが、次の世代には必要なんだよ」と。
また、ある大学の先生の「福島の問題は科学的だったり政治的だったりして、みんながオープンに話しにくい」という言葉にも強くハッとさせられました。専門的で話しづらいことを、誰もが話しやすくするためにはどうすればいいのか。私は悩み抜いた末に、「知る、考える、伝える」というサイクルを作り、一人ひとりがそれを実行していくことが未来の福島のために必要だ、とプレゼンで発表しました。

この経験を通して、社会課題解決の視点を深く学びたいと強く思うようになり、新潟大学の創生学部へ進学を決めました。
人との繋がりから飛び込んだ「ひとり広報」
大学に入学してからは、「伝えることに関わりたい」という思いから、ウェブメディアを運営する団体でライター活動を始めました。インタビュー力を高めたいと思い先輩に相談したところ、「まずは大人と話す機会を増やした方がいい」とアドバイスを受け、新潟の社会人コミュニティに参加するようになりました。
そこで出会ったIT企業の社長とのご縁で、広報インターンとして働かせてもらうことになりました。メディアのように「外」から取材して発信するのではなく、組織の「内側」から情報を発信していく広報の仕事に、新しい面白さを感じたんです。
インターンでは、ブログ執筆、SNS運用、ウェブサイトの更新、アクセス解析、イベントの企画運営など、本当に様々なことを経験させてもらいました。入社してすぐに広報担当社員の方が辞めてしまい、いきなり「ひとり広報」状態になるハプニングもありましたが、とにかく頼まれたことをガムシャラにこなしました。未知の業務に手探りで取り組むのは大変でしたが、雰囲気のいい職場で、社会に出た時の基礎みたいなものを身に着けさせていただきました。

「できない」を気合で乗り越える。広がる「伝える」の形
1年ほど広報インターンを経験した後、次はふるさと納税の委託業務を行う会社で新たなインターンを始めました。きっかけは、その会社の社長に「伝えることを仕事にしたいんです」と語った際、「ふるさと納税に関わるマーケティングなども、広い意味で『伝える』ことだよ」と言われたことです。それまで私が思っていた「伝える」は、文章を書いたり表現したりすることだけでしたが、ビジネスの視点からもっと幅広く「伝える」ことに関心を持ちました。
インターン先では、社員さんのサポート役として「何でも屋」のように動いています。自治体の情報をサイトに登録・更新したり、画像を作り変えたり、特集記事を書いたり、クラウドファンディングのページを作ったり。アンケート集計やメルマガの分析まで、事業運営に関わるあらゆることに携わっています。
急にやったことのない仕事を振られることも多く、最初は戸惑いました。「できないです」と弱音を吐くと、「あなたがやらなくて誰がやるの」と背中を押され、「どうやったらできるか」を自分で調べて、できるところまでとにかくやってみる。そんな環境に揉まれるうちに、できないことでも気合と根性で乗り越えるスタンスがすっかり身につきました。
フルリモートワークのため、テキストコミュニケーション特有の温度感が掴めず悩んだ時期もありましたが、「ここを乗り越えられたら、自分は社会に出てもたくましく働けるんじゃないか」という意地もあり、逃げずに食らいついています。
同時に、やっぱり「書くこと」ももっと深く学びたいと思い、学外のライティング講座にも通い始めました。漠然とした大量の情報を、一本のストーリーを持った記事にまとめ上げられた瞬間の「できた!」という感覚が、たまらなく好きなんです。

飾らず、等身大の言葉で歩む私なりの道
将来の仕事については、実はまだ全く決まっていません。「伝える」仕事に関心はありますが、出版社や編集の仕事は狭き門ですし、新聞社は悲しいニュースを扱うことが多くて少し違う気がしています。それなら他にどんな道が残っているんだろう、と模索している最中です。
高校や大学の受験、そしてこれからの就職活動など、自分を脚色して「立派な理由」を作らなければいけない場面があることも分かっています。でも私は、無理に自分を飾らないで、ずっと等身大のありのままでいたい。
経験していないからこそ、誰かの想いをまっすぐに聞き、等身大の自分の言葉に変換して伝えていくことができるはずです。これからもそんな「飾らない等身大の言葉」を大切にしながら、私なりの「伝える」道を歩んでいきたいと思います。