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人の縁を道しるべに。周囲の影響を「自分の力」に変えて歩む、私の選択

人の縁を道しるべに。周囲の影響を「自分の力」に変えて歩む、私の選択

関原 愛実

関原 愛実

新潟大学創生学部

2025年2月28日

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#何事も楽しむ#1を10に価値を広げる#エンタメ・IT・デベロッパー業界志望#人が好き#色んな人と関わる柔軟性#チームを前進させる調整力#自分も笑顔に周りも笑顔に

新潟大学創生学部で卒業研究に向けた地域イベントの準備など、精力的に活動する関原愛実さん。「自分は優柔不断」と語りますが、その足跡を辿ると、高校生の探究活動支援から中国での教育プログラム、そして地元・長岡でのイベント運営と、多様な挑戦の連続です。なぜ、次々と新しい世界へ飛び込むことができたのか。そこには、周囲の人々の影響を素直に受け入れ、それを自分の力に変えていく、しなやかな強さがありました。

新潟県長岡市出身、新潟大学創生学部。大学では「座学よりも動く学び」を重視し、Webメディアでの発信活動や、高校生の探究学習イベント「マイプロジェクト」のファシリテーター、中国への渡航プログラムなど、学外のフィールドで精力的に活動。現在は地元・長岡市の摂田屋地区でのイベント「セッタニア」の運営にも携わっている。

姉の背中を追いかけた「おませさん」な少女時代

新潟県長岡市で生まれ育ちました。幼い頃の私は、カメラを向けるとすぐにポーズを取るような、いわゆる「おませさん」。でも実はとても人見知りが激しい子どもで、小学校2年生までは友達と遊ばずにまっすぐ家に帰っていました。そんな私の道しるべとなってくれたのは、2歳上の姉の存在です。英語教室も、水泳も、習字もピアノも、私が始めた習い事はすべて姉がやっていたものでした。「お姉ちゃんがやっていて楽しそうだから、私もやってみたい」そんな純粋な憧れが、私の行動の原点でした。

中学校でバスケットボール部に入ったのも、やはり姉の影響です。入部したのは、いわゆる「ガチ」な厳しい部活。上の代は小学校からの経験者が多かったのですが、私たちの代はほぼ初心者ばかりでした。だからこそ「このメンバーの中で絶対にスタメンになりたい」という強い思いが芽生えました。

基礎練習で外周を走るのは本当に辛かったけれど、ドリブルしながら走り抜くようなボールを使った練習は楽しかった。途中で辞めるのはもったいない、ここで逃げたら弱い自分になってしまうという意地で3年間を駆け抜け、チームで上の順位に入り、先生からMVPに選んでもらうこともできました。

「やらなきゃ」で走り続けた高校と、探究活動との出会い

高校進学の際も、私は姉の背中を追いました。高校生活は、まさに勉強漬けの日々でした。朝は小テストを受け、放課後は学校が閉まる20時まで居残り勉強をして、21時の電車に45分揺られて帰り、家には寝に帰るだけ。楽しかったというよりは「締め切りを守らなきゃ」「提出物は出さなきゃ」という使命感に突き動かされていたように思います。楽しみにしていた海外研修も、コロナ禍で行けなくなってしまいました。

そんな日々に彩りを与えてくれたのが、2年生の時に取り組んだ「探究活動」でした。南魚沼の六日町地域で衰退していた「雪祭り」を再興させようとチームで奔走しました。自分たちの取り組みは、高校生のプロジェクト学習を支援する「マイプロジェクト(マイプロ)」で賞もいただきました。地域の人たちが私たちの意見を真剣に聞いてくれ、「じゃあそれやろう」と背中を押してくれた経験。チームで議論を重ねてプレゼンを作り上げる楽しさ。探究活動での成功体験が「地域に関わる学びがしたい」という大学選びの軸になりました。

人の縁に導かれて広がった大学生活

大学は、金沢大学の地域創造学類と迷いましたが、総合型選抜でのリスクや、先輩の前例があることなどから、新潟大学の創生学部に進学しました。入学当初は「フィールドスタディーズ」などカリキュラム内の活動に興味がありましたが、実際に私を広い世界へ連れ出してくれたのは、「人」との出会いです。

一つは、友人に誘われてWebメディアのサークルに入ったことです。「新潟の学生の背中をポンと押す」を理念にするメディアで、新潟県内で活動する人の紹介など、県内の学生向けの情報を発信していました。また、母体が企業だったので、社会人の方と商品開発を行うようなことにも関わりました。

インタビューを通じて人の人生観に触れられるのは面白かったです。一番最初に、マイプロの代表の宮崎先生に話を聞いたのですが、人を動かす人の熱意や原動力ってすごいなと圧倒されましたね。

ただ、活動はオンラインがメインで、モチベーションには苦労しました。記事を作るのも、タスクになってしまうとなかなか手が進みません。そこで私は、自ら対面での新年会を企画したりもしました。普段はなかなか会えないからこそ、集まって喋るのは楽しいですし、日々の活動のモチベーションにもなりました。

サークルの他に、かつて自分が参加者だった高校生の「マイプロ」に、今度は大学生ファシリテーターとして関わるようにもなりました。これもサークルの先輩に誘われたのがきっかけでした。他大学の学生や高校生と交流したりすることが、大きな刺激になりましたね。

涙と衝突を乗り越えた中国渡航

大学生活の中で最も印象に残り、一番大変だったのは、2年生の秋に参加した中国(珠海・広州)への訪問プログラムです。日中関係が難しい時期だからこそ、現地の人たちの本当の姿を知りたい。この機会を逃したら中国になかなか行けないだろうと思って飛び込みました。

現地の小学生への授業や大学生との交流がメインでしたが、準備期間も含めて、待っていたのは試練の連続でした。現地での工程を考えたり、プログラムを組んだりと、様々な準備を行うのですが、集まったメンバー6人はお互いをよく知らない関係値の浅い状態。みんな忙しくてなかなかミーティングの日程も取れずに、ちょっとしたことでの不満など、準備段階からすれ違いが起きていました。

それでもなんとか現地での実習までこぎつけたのですが、現地でもトラブルが起きました。連日の緊張と、現地のマナーへのプレッシャーも重なり、現地の偉い方たちとの会食の席で、私はとうとう恐怖で堪えきれずに泣き出してトイレに駆け込んでしまいました。

さらに、その日の夜、翌日に大事な授業を控えているのにメンバーの3人が部屋でお酒を飲んでいることが発覚して、メンターの人には大問題として扱われ、チームが分裂状態になってしまいました。

正直、夜も遅かったので、早く寝ようみたいな空気もありました。ただ、私はこのままもやもやを抱えたままではダメだと思い、みんなで話し合おうと提案しました。私だって、そのまま寝て忘れることもできました。でも、そこで話さなかったら、いつまでもすれ違いが続いてしまうと思ったんです。

話し合いの中で、自分が大事な場面で泣いてしまって申し訳なかったこと、でも不安だったいうことなど、本音をさらけ出しました。そこからチームの空気が変わり、帰国後にはみんなで遊んだりするほど仲良くなれました。本当に堪へんでしたが、あの苦しい時間を乗り越え、正面から人と向き合った経験は、「やってよかった」と思える大きな自信になっています。

人とのつながりを大切に、次のステージへ

中国のプロジェクトが終わってからは、授業の一環で、長岡市宮内摂田屋地域のイベント「セッタニア」の運営に力を入れています。実は入学当初からこの地域での活動を第一志望にしており、念願叶って3年生から本格的に関われるようになりました。地域の企業の方々と協力しながら、子どもたちに発酵・醸造文化を楽しんでもらう企画を考えるのはとても刺激的です。今後は、昨年企画した「高校生向けに宮内摂田屋を知るためのツアー」を卒業研究としてさらに頑張っていきたいです。

卒業後の進路は色々考えているところです。東京に友達が多く、県外に出たいという思いから東京での就職を希望しています。エンタメやおもちゃメーカーのように「ワクワクする・楽しさを追求する」仕事に惹かれつつ、柔軟に働けることや、社会人としてのスキルを身につけたいという視点からIT業界も見たりと、軸が定まらず迷いの最中です。エントリーシートがなかなか通らず、落ち込むこともあります。

それでも、私はこれからも「人に話す・人を頼る」というオープンマインドな姿勢を大切にしていきたいです。一人で抱え込まず、友人に相談し、周りの人の良い影響を受けながら進んでいく。「優柔不断」と自分では思いますが、それは裏を返せば、周りの人の声に耳を傾け、新しい可能性を受け入れられるということ。これからも、たくさんの人に背中を押してもらいながら、私らしい道を歩んでいきたいと思います。

Profile

関原 愛実

Ami Sekihara

関原 愛実

新潟大学創生学部

新潟県長岡市出身、新潟大学創生学部。大学では「座学よりも動く学び」を重視し、Webメディアでの発信活動や、高校生の探究学習イベント「マイプロジェクト」のファシリテーター、中国への渡航プログラムなど、学外のフィールドで精力的に活動。現在は地元・長岡市の摂田屋地区でのイベント「セッタニア」の運営にも携わっている。

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